Dance it off!

第ニ話

頭のネジ以外にも色んな(大切な)部分が吹っ飛んだリィヴィング・マッドマンなダンス部部員たちの、波乱に満ちた日常を巡る大学青春コメディ。



第2話 Melone,Melonen 今日はいい日だ。

春日井黎は近年稀に見る爽風やな気分で朝を迎えた。

足取り軽く洗面所へ向かうと、いつもの3倍の時間をかけて身だしなみを整える。いつもはただそこに置いてあるだけのヘアジェルで雑誌で見た通りの「イケメン」の髪型を再現すると、スキップしながら冷蔵庫へ手をかけた。その中にあるものを確認すると、今日の勝利を確認する。

そう、これはー

「俺の秘密兵器ー其の名も、フリティッシュ・メローネン!」

先週のドイツ語の授業で習ったばっかりの言葉だ。新鮮なメロンという意味の。まともに授業を聞いていなかった黎は聞き逃していたようだが、メローネンがメローネの複数形である。そして、ここにはメロンは一つしかない。文法的には間違っていた。

その唐突な叫び声に、薄い壁を隔てた隣人からの怒りの壁ノックをお見舞いされる。でもテンションが上がりすぎた彼にそんなことを気にかける余裕はないし、そもそも彼はそんな些細なことを気にするような男ではない。


彼の心は駿河湾よりも広い。


その、正しくはフリティッシェ・メローネ・・・もとい、農家の親戚が送ってくれた、傷物のクラウンメロン。規格外だから市場には出せないが、個人で味わう分には申し分ない逸品だ。

親戚万歳!と一人ガッツポーズを取ると黎はうっとりとした顔で冷蔵庫の中に鎮座するメロンをじっくりと眺める。

 傷物とはいえ、微細なものだ。素人が気づくことはまずないだろう。一般的にメロンは高級果物として名高い。部活初日に貢物・・・じゃなかった、手土産としてメロンを持参した黎の人気は天井知らずの上昇をとげること間違いなしである。とくに、スイーツに弱いとされている女性ー部活のメンバーの中で唯一の女性である守山朱里の心をガッチリと掴んで離さないはずだ。

メロンに心奪われた後、メロンを持参した黎に心奪われる。それが黎の勝利への方程式だった。

「レイって、すっごく気が効くし、優しいよね・・・。私、好きになっちゃった」

脳内の朱里が頬を染めながら彼にそう呟く。完璧なシナリオだ。なんとなくこのパターンを過去に幾度と無く繰り返してきたようなデジャブを一瞬起こしたが、多分気のせいだろう。どこか彼の別の人生で貢物を意中の女性に手渡した後、平手打ちを喰らっている幻の映像が流れたがそれも彼の脳裏に走ったただのノイズとしてさっくりと片付ける。黎は非常に前向きな人間だ。過去は振り返らないー過ぎ去った日々のことは、ただ忘れるだけである。執着したり、立ち止まって考えるなんてことはもってのほかだ。

そう、彼にはこのメロンがある。何も恐れることはないのだ。ただ、突き進むのみ。

黎は壊れ物を扱うように丁寧にメロンを取り出すと、昨日帰りがけに購入した化粧箱にそっとメロンを収める。メロンは果物の王様と呼ばれているのだ。取り扱いも王様級でなくてはならない。特に、それが彼の最大の武器ともあればなおさらのことである。何十にも袋を重ねて、万が一の時に備える。完璧だ。自分の包装に満足した彼は、袋を小脇に抱えると意気揚々と下宿を後にした。

いざゆかん、戦場へ。



「え、部室・・・ないの?」

吹き抜ける春の蒼い風が、黎の完璧にセットされた髪型を乱していく。そういえば春の嵐、っていう言葉があったっけーとだんだんぐしゃぐしゃになっていく自分の前髪を眺めながら黎はひとりごちた。

メロンー。そう言い出しかけた黎の言葉は、眉間に深い皺を寄せて深刻そうに腕を組む北に遮られる。

「・・・すまない。まだちゃんと説明してなかったがー。大学の公認サークルの認可を得るためには最低5人の部員が必要なんだ。俺、朱里、光、そして君を入れて4人。ーあと一人、足りないんだ」

「公認じゃないと部室割り当てられないからね」

光は器用にガムを膨らましながら会話に参加する。一体彼の発声器官はどういうことになっているのだろうと黎は首を捻る。確かに光は朱里の双子の弟ではあるのだけども、別に同一人物というわけでもないので本質的にはまあどうでもいいのだが。どうやって声を出しているのかとかいろいろ。黎は取り敢えずさり気なく移動すると朱里の隣を確保する。

アクシデントを装ってボディタッチを狙うには、ポジショニングが大切なのだよワトソン君。

「だから、俺達芝生の上にいるんですか」

「まあ、そういうことになる」

「別にカフェテリアとか図書館とか集まれそうな場所は一杯あったんじゃ」

「そう思ったんだが、カフェテリアにはフットサル部が陣取ってたし図書館には生徒会がたむろしてて」

『ねえ・・・あんたみたいな人間のクズが目の前ちょろちょろされると目障りなのよ?どうせ部員も集まりっこないし、無駄な抵抗はやめてさっさと消えてくれない?』
『北、お前なんでここにいるんだよ。ここは今日のフットサル部の初幹部会合の場所になったんだよ!お前のいる場所はねえ。さっさと出てけ』
幹部ってなんだ。ただの大学の部活動なのに。

脳内に数十分前の瀬古と中切とのやりとりがよみがえると、北はそっと涙ぐんだ。相変わらず、人間以下の扱いだ。手の甲で涙を拭う北をちらりと一瞥した黎は、同情のかけらもこもっていない平坦な声で問いかける。彼にとっては、男が涙ぐんでいることで同情する理由がないからだ。

女性が目の前で涙ぐんているというなら話はだいぶん別なのだが。

「それって・・・この前の人たちですか。随分な嫌われようですね。何かあったんですか」

「いや、特に大したことは・・・。ああ、しいて言えば一年の時に実習で失敗して中切の髪を燃やししてしまったり、知り合いたての頃にうっかりミスで瀬古のスカートをずり下げてしまったことはあったが、全部些細な事だ」

「最低だな、あんた」

うっかりミスでスカートをずり下げる、って一体どんなドジっ子。しかも女の子がやったならともかく、いい年した男の犯行。完全に変態の犯行だ。本人は無意識らしいところが更にたちが悪い。

敬語も忘れ、黎は白けた風にそう呟く。きっと、彼が今告白したのは氷山のたった一角に違いないという確信を込めて。『キング・オブ・ザ・ダメ人間』と北を罵り続ける瀬古と中切の感情は至極もっともなものなのかもしれない。

「つまり、嫌われてるのは全部自業自得ってわけだ」

「ともかく!今は、あと3日以内にもう一人部員を見つけないといけないの!時は急を要するんだよ?!」

頭のてっぺんからキンキン声をだして、朱里が叫ぶ。眉根をギュッと寄せた朱里も可愛いな、と黎は心の中で頷く。まあ、ようするにすべてが可愛いのだが。それにしても持ってきたメロンをいつ渡すべきなのだろうと彼は思案した。今の話の流れにあわせていると、メロンのことを持ち出すきっかけが掴めそうにない。

「そうなんだ。由々しき事態だと言わざるを得ない。まさか、俺も入部希望を出したのがたった一人だけになるとはさすがに思わなかったー」

「あれ、先週は違うことを言ってたような?」

「そういえば、俺の知り合いから聞いたんだけどー。大学の近くのゲーセンに、音ゲーの神と呼ばれてる男がいるらしいぜ。伝説の音ゲーマスター」

「「伝説の音ゲーマスター?!」」

北と朱里の声が重なりあった。二人共、真剣に驚いた表情を浮かべて。要するに、ただのゲーム廃人じゃん、というそっけない感想を黎は抱いたがもちろん朱里の手前、口には出さない。ただ、彼も興味があるような振りを装って無言で頷いた。

「ーそいつならダンス部に興味もってくれるんじゃないの」

「そうか、でかした光!それは耳寄りな情報だな!」

「ゲーマーって、そもそも部活とか来るの?」

珍しく今日のツッコミ役は黎のようだが、光の時同様誰も気にもとめないのであまり意味が無い。

「早速スカウトに行こう!朱里の言うとおり、期限まであと3日しかない。」

「そこのゲーセン、こっから歩いて30分ほどらしいよ。はいこれ地図」

光がスマホの画面に映し出される地図を見せる。

「ナオ先輩!私ここの前通り過ぎたことあるよ。この前の道を真っすぐ行ってー」

「そうか、さすが朱里だな。朱里、光、今すぐに出かけよう!」

そういって北は両手に双子で双子の背中を押すと、自らも慌ただしく歩き始める。彼が呼びかけた名前の中から黎の名前が抜け落ちているのは、偶然かそれともわざとなのか。

「え、今から?メロンは?」

一人取り残されつつある黎は3人の背中を追いかけながら北へと問いかける。さっきからメロンについて言及するチャンスすら与えれれていないが。北は聞いているのかいないのか、ひらひらと手を振ると振り向きもせずに叫んだ。

「さあ行くぞ!急がないと、日が暮れてしまう!」

「メロン?」

黎の台詞に、そう小さな声で呟いた光の問に気づいた人間は居なかった。



勢いそのままに黎と他3人は大学近所の裏寂れたゲームセンターを訪れることになった。結局、置き場のないメロンを小脇に抱えたまま。お願いだから誰か彼の脇の包みの存在に気づいてほしいところだ。北たちは不自然だとは思わないのだろうか。

「で、どいつなんだ・・・。伝説の音ゲーマスターというのは・・・」

店員に教えられた音ゲーマシーンコーナーに差し掛かった北は、目を血走らせながら周囲に視線を走らせる。外見のみすぼらしさ同様、ゲーセンの内部もおよそはやっているとはいえないようで、平日の午後にしては客の姿もまばらだ。

「あれじゃね?あのめっちゃ凄いキレで踊りまくってるヤツ」

そう言って光が指さした先には、ゲームマシンの前でどこかの某パフォーマンスグループもびっくりのダンスを繰り広げている青年を指さした。彼の周りには数人の見物客らしきものがいたが、噂に聞いたのとは何か様子が違う。彼ー農学部1年の知多洋平、と光は説明したーはギャラリーから尊敬の眼差しで見られている、というよりはー奇異の眼差しを注がれているように見えた。

「そうか、さすが評判になっているというだけはあるな!確かに素人とは思えない機敏さだ!」

「まあ、音ゲーなんだけどさ」

まあ、簡単にいうと引かれているということだ。

ダンスに関する知識はゼロである黎でさえ、彼の動きが尋常でないことぐらいは簡単に理解できた。が、理解できることと受け入れることはまた別の話。朱里みたいに可愛い女の子がキレのあるダンスを披露するのは彼にとって大変微笑ましく、好ましいー目の前の青年のようないかつい体型の青年がそれを披露した所でただ気持ち悪いだけである。

世の中では、そういういうのをダブルスタンダードと呼ぶ。

「すごい、すごい動きだね!」

「うん、まあ、そうだね・・・」

知多が曲の終わりに絶妙な一回転ターンを決めると、感極まったらしい朱里が頬を紅潮させながら必死に手を叩き始めた。メロンのことで頭が一杯の黎は特に何の感慨もなくただぼんやりと知多のパフォーマンスを眺めていたが、朱里の熱意を見て取ると突然激しく拍手を始めた。それも朱里のを上回らん勢いで。

「うぉぉぉ、めっちゃすげえ!!!!!!もうあの人天才だよね!!!!!」

そうだろ、朱里!とわざわざ隣を向きながらわざとらしく叫ぶ。もちろん隣の朱里に媚びたい一心で。もしこの世に「邪心メーター」なるものが存在しているなら、黎の場合はとっくに目盛を振りきっている。

二人の異様な熱意が伝染したらしく。光と北までぱらぱらと拍手をし始めた。音楽が止み、静まり返ったゲームセンターに響き渡る約4名の拍手。その音は大きい物からかろうじて聞こえるものまで様々だったが、知多の関心を引きつけるには十分だった。

くるり、と4人の立っている方へ振り向くと、つかつかと歩み寄る。腰に両手をあてると、完全に相手を見下したような表情を浮かべる。

「・・・あんたたち、誰?まさか俺のファンとか言わないよね」

今すぐに失せろと言わんばかりの冷たい声音にもまったく動じる気配のない朱里は知多に飛びつくと、掌を合わせて懇願する。

「お願いです!私達と一緒に、ダンス部で活動してください!」

「はあ?」

「あと部員一人集めないとー公認サークルの認可が降りないんです!ダンス部設立は大切な先輩の悲願なんです、どうか!」

顔がくっつきそうなほどの至近距離に、祈るように手を合わせ拝み倒してくる美少女。黎なら(嬉しさのあまり)発狂しかねないこのシチュエーションだが、知多は朱里をあっさりと手で跳ね除けるとすこしうざそうに鼻に皺を寄せた。その様子は、まるで自分の周りを飛ぶハエを遠ざけようとする仕草にどこか通じるものがある。つまり彼にとって朱里はハエと同等の存在だというのか。

「なに寝ぼけたこと言ってんの、この娘?」

許せないー。黎の中で何かが弾ける音がした。

彼の嫁(予定)を侮辱することは、何人たりとも許されることではないのだ。震える手をかろうじて抑えながら、黎は首を捻った。彼の隣で、北もまた同じように憤怒に顔を赤黒く染めているのが見える。唯一光だけが白い顔のまま無言で立っていたが、今の黎の視界にその様子が入ることはない。良くも悪くも、彼の視野は狭いのだ。黎は北と視線を合わせると、彼が頷いた。二人の意見は一致を見たようだった。

「貴様!朱里の必死の頼みを断るとは・・・いい度胸だな!」

知多の胸ぐらに掴みかかろうとした北の必死の行動は、赤子の手をひねるかのようなあっけなさで知多に交わされる。もともとひょろ長い体型の北と、不必要に筋肉質の知多では体格差は一目瞭然だったが。

「へぶし」

という不自然なうめき声と共に、北の身体が地面に崩れ落ちた。

「っていうか本来は部長が頼むべきなんじゃ」

パーカーのポケットに手を突っ込んだまま成り行きをただ見守っているだけの光のコメントは周りの騒音にかき消される。

「オレがそのダンス部に入ったら、何かいいことでもあるわけ?」

「一緒にダンスが踊れる」

フロアで倒れたままの北を一瞥の後、完全に無視することに決めた黎がここへきてようやく援護射撃を繰り出す。彼自身、部活動そのものにはさほど興味がないがー朱里が悲しむことは大問題だ。目の前の男を説得しさえすれば5人確保できるというのなら何を迷っているのだ。いざとなったら隙を見て縛り上げてでも入部させるだけだ。

朱里との中の進展に邪魔になるようなものは、早めに片付けてしまったほうがいい。

黎はなにか妙案はないかとゲームセンターの中をキョロキョロと見回した。壁にはられた無数のポスター、案内板、やたらうるさいゲームマシーンの効果音、取り憑かれた表情でガラスの中を見つめる若者たち・・・。

あまりこういう場所に出入りすることがない彼にとって、そこはある意味未知の世界である。黎には無機物に大金を投じる趣味はない。彼が金を大金を払う価値があると感じるのはただひとつ、それによって女性を喜ばせることができる時だけだ。

黎はもう一度壁に貼られたポスターの中の一枚を凝視した。

それはヒップホップな服装の青年がポーズを決めているもので、その上には第一回静岡ストリートダンスコンテスト出演者募集中!5人一つのチームで出場可!と書かれていた。

「それだったら別に今までどおりここでゲームやってたほうが気楽だし、それでいいじゃん。オレ、何かに縛られるのって嫌いなんだよねー」

俺ってフリーの音ゲーマーだし?と知多は誇り高く付け加えたが、そもそも集団所属の音ゲーマーはこの世に存在するのか。黎の心にそんな疑問がよぎる。恋愛のことで頭が一杯になってない時の黎はまあまあ頭が回るのだ。問題は、恋愛で頭が一杯になっていない時がほとんど存在しないことだが。知多に縋りつく朱里の姿を横目で見ながら、黎はポスターをそっと指さした。

「ーダンス大会に出るのはどう?」

黎がようやく口を開く。同性の感情の機微にかけらも興味のない彼ですら、知多の瞳の色が変わったのが分かる。

「あれ、あそこのポスターの。出場資格は5人までのチームで、ってあるし。俺らと知多くんいれてちょうど5人。条件ピッタリだよ」

「チーム、って・・・。ーあんたたちが踊れるようには見えないんだけどね」

知多は黎のあまり筋肉質とはいえない身体を見回すと嘲るように鼻を鳴らした。どうやら知多は恐ろしくプライドの高い人物らしい。その様子はどこか旧帝大に進学した彼の兄を彷彿とさせた。それならば。プライドの高い人物の扱い方なら、心得ている。

とことん煽れ。

黎はわざと口の端を歪めると、相手を軽蔑したような眼差しで知多の目を覗きこむ。芝居がかった仕草で肩まで竦めてみせて。

「へーえ。音ゲーの神とか伝説の音ゲーマスターって聞いたからどんな凄い人なのかと思ったら、こんなチンケな大会で優勝する自信もないんだ。案外大したことないなー」

もし血管がキレる音というものがあるのなら、きっとその時の音がそうなのだろう。一瞬目を見開いた知多はキュッと音を立ててフロアーの上を一歩踏み出す。黎に向かって。

「・・・んなこと言ってないし。あのさあ、オレあんたの名前知らないけどー」

そういう彼の声が震えていた。どうやら、黎は効果的に知多のプライドを刺激するのに成功したらしい。

「春日井黎」

「そう、春日井君。オレが伝説、って呼ばれてるのは確かな実績と実力に裏打ちされてなわけ。ハッタリとかじゃマジないから。舐めてもらっちゃこまるし」

と知多が息を巻いた。機を逃すことなく、黎はさらに畳み掛ける。

「じゃあ出来るんだな、優勝」

「たりまえじゃん。ヨユーだし」

「例え他の4人が足を引っ張ったとしても、それでも優勝できるよな?神なら、それぐらいカバーするの楽勝だろ?」

「は、何度も言わせんなよ。それぐらい朝飯前だっつーの」

「じゃあ決まりだ。ダンス部に入れ」

高飛車な知多に負けじと、黎は腕を組むと威圧感のある声で言い放つ。朱里の為に、という後半部分は敢えて省略した。ついでにいつまでも朱里を張り付かせている彼から彼女を奪還する。朱里が知多から離れると、どこからともなく光が現れて姉を一歩後ろに引かせた。

「オレみたいなVIPに入ってもらうんだったら、それ相応の待遇を用意してもらわないと」

黎に対抗するように知多も腕を組むと、もう一歩先へと踏み出した。どこまでも負けず嫌いらしい。二人の間に見えない火花が飛ぶ。その様子を感じ取った朱里は隣に立つ弟を見ると不安げな表情を浮かべた。いつのまにか起き上がった北は、二人の間の一瞬即発な雰囲気に再び失神しそうな様子だ。光は先程からどうでも良さそうな顔でガムを膨らましたり潰したりを繰り返していたが、姉と北の不安を感じ取ったらしくようやくその重い腰をあげることにしたようだった。

素早く辺りへと視線を走らせると、黎が下げている手提げ袋ーメロン入りーに目を止める。

「じゃあ、このメロンで手を打ってよ。あ、ちなみにダンス部に入るとレイから定期的に高級メロンの差し入れが」

黎からメロンを引ったくると、光はしれっとした表情で貢物を知多へ恭しく差し出した。

「え、っていうか俺そんなこと言ってないし」

黎は光のとんでもない発言にあんぐりと口を開けた。まず、レイというのは朱里が彼に付けたあだ名だったはず。双子の弟とはいえあだ名までシェアしていいというわけではない。そして、2つ目ー。メロンは、朱里の為に持ってきたのだ。この筋肉廃ゲーマーの為では断じてない。

しかも、定期的とな。光は一体何をほざいているのか。黎は顎を震わせる。出来ることなら一発殴り飛ばしたいが、朱里によく似た顔を殴るのはさすがに気がとがめた。仕方なく、行き場のない怒りを知多一人にぶつけることにする。でも、物理的には勝てそうもないのでー心のなかだけで。

「へーえ、メロンねえ」

ーテメーは筋肉野郎はトリのササミでも食ってろこの筋肉野郎。メロンみたいなスィーツは朱里みたいな可愛らしい女の子以外食べる権利はないんだよ。

「・・・まあ、メロンなら貰ってやってもいい」

「まあ、これは俺達からのほんの気持ちってことで」

知多は光からメロンを受け取ると、品質を吟味するかのようにまじまじと眺め回す。どこ出身なのかは知らないが、メロン農家が親戚の黎ほどにメロンのことを知っている大学生がこの世に存在するとは思えなかった。その物知り気な仕草が痛く癪にさわる。

「まあ、今回はこれぐらいで許してやるよ」

「やったあ!ヨーヘイ君、ありがとう!」

ーやばい、コイツ男じゃねえ。

再び朱里が知多に飛びつく。特に何の反応も示さない知多に、黎は彼が不能か同性愛者であるという判断を下した。こんなに可愛い朱里に抱きつかれてもなんとも思わないなんて、健全な青年の精神構造ではない。死ぬほどムカつく男だが、朱里にちょっかいをかけそうもないという点だけは評価できそうだった。

「よし、じゃあ決まりだ!ここにある入部届にこの場で署名だ!光、彼が書き上がったら大急ぎで生徒会室に届けてきてくれるか」

さっきから涙目で立っていること以外何も役に立っていない北が、いやに活き活きとした声をあげる。ずっと握っていたらしい入部届はだいぶしわくちゃになっていた。もし、黎が知多を説得することが出来なければ彼は一体どうするつもりだったのだろうか。

「へーい、りょーかい」

光は北の言葉に、背後からスケボーを取り出した。どうやらこれで大学まで戻るようだ。しかし、大学の前にはものすごい急傾斜の坂があるのだが。

北は知多の前へと歩み寄ると、熱に浮かされたような表情で彼の手をがっしりと握る。彼自身、身長はそこそこあるのでバランス的には問題ないが、板みたいな身体の彼とやたら筋肉質の知多が手を取り合う光景は滑稽だった。いや、じゃない。気持ち悪い。

「ー知多。確かに、オレのダンス部はまだ成立したばかりで日が浅い。しかし、オレの情熱はこの大学の誰よりも激しく燃え盛っているんだー。これから5人、力を合わせて頑張ろうじゃないか!」

恐ろしく何の貢献もしていない北が、まるですべて自分の説得の結果のような顔をして高らかにそう宣言した。その時の彼の得意げな顔を見た瞬間、黎は北が同級生に忌み嫌われている理由がわかった気がした。確かに、コイツは一片死んできたほうがいい。いや、出来れば一度と言わず複数回。

朱里が彼のことをここまで慕っていなければ、とっくの昔に黎本人があの世送りにしているところだが。

「おー!」

と拳を可愛らしく突き上げたのは朱里。黎は、込みげてくる吐き気と闘いながら、盛り上がる朱里へと引きつった笑顔を向けた。掃き溜めに鶴とはまさしく彼女のこと。

「人数も無事確保できたことだし、これで一安心だな。俺、じゃあ大学いってくるわ」 軽やかにスケボーの縁を蹴ると、旋風のように光がその姿を消す。その残像へと視線を向けた知多は、まるで自分が部長かのような表情を浮かべると残る3人を見下ろし言い放った。

「・・・精々オレの足引っ張んないように頑張な」

(第3話に続く)